
僕は怠けるのが嫌いだった。
そして、怠け者が嫌いだった。
常に、何かしていないと気が済まなかった。
そして、
何もしない人。
動こうとしない人。
努力しない人。
そういう人を見ると、どこか苛立っていた。
「どうしてやらないんだろう。」
「少しでも動けばいいのに。」
そう思っていた。
けれど、ある日、僕は自分自身に向かってこう言った。
明日は何もしない。
仕事もしない。
遊びもしない。
これからのことも考えない。
行き当たりばったりで一日を過ごすと決めた。
僕は、いつも焦っていただけだった。
何かしないといけない。
前に進まないといけない。
収入を増やさないといけない。
その焦りがあまりにも長く続いていたので、自分が焦っていることにさえ気付いていなかった。
休むことにさえ、罪悪感があった。
何もしない一日は、遅れている一日。
止まっている一日。
無駄にしている一日。
そんなふうに思っていた。
でも、ある言葉が不意に浮かんだ。
休むことは、前に進むことの反対じゃない。
この言葉を考えているうちに、気がついた。
では、私がこれまで「怠け者」と呼んでいた人たちは、本当に止まっていたのだろうか。
外から見れば、何もしていないように見える。
でも、その人の内側では、
疲れた身体を回復させているのかもしれない。
怖さに耐えているのかもしれない。
動き出すための力をためているのかもしれない。
まだ言葉にならない何かを、静かに整理しているのかもしれない。
その人はその人なりに進んでいたのかもしれない。
もちろん、誰もが必ず前へ進んでいると言い切ることはできない。
逃げていることもあるだろう。
諦めていることもあるだろう。
けれど、それさえも、外から一瞬見ただけでは分からない。
その人がどれほど疲れているのか。
何を怖がっているのか。
どれほど長く耐えてきたのか。
僕には分からない。
分からないのに、「怠け者」と決めつけていた。
そして同時に気付いた。
僕が怠け者を嫌っていたのは、もしかすると、
自分自身が休むことを許せなかったからなのかもしれない。
自分に厳しくしていたから、他人にも厳しくなった。
自分に「止まるな」と言い続けていたから、止まって見える人を許せなかった。
でも、休むことも前進の一部ならば、見え方は変わる。
止まっているように見える人も、
その人のペースで進んでいる。
そう考えることができる。
速く進む人がいる。
ゆっくり進む人がいる。
何度も立ち止まる人がいる。
一度遠回りしてから戻ってくる人もいる。
僕たちは、同じ道を同じ速度で歩いているわけではない。
だから、他人の速度だけを見て、その人の人生を判断することはできない。
昨日と同じ場所にいるように見えても、心の中では大きく変わっていることがある。
何もしていないように見える一日が、次に動き出すための大切な一日になることもある。